永遠に生きること

「永遠に生きる」ということ。

これは人類の歴史が始まって以来、人間がずっと夢見てきたことだ(….とされている。私は少なくとも夢見たことがない)。

永遠に生きるとは、死を超越することであるが、私はこれには非常に懐疑的な立場だ。

実現の可能性ではなく、実現をすべきかという点で懐疑的だ。

私は、人間が死を超越しても、人間の幸福にはほとんど寄与せず、むしろ不幸に落ち込む人間が続出すると思う。

人間の生に限らず、この世のすべてのモノには終わりが来る。

この世のすべてのモノは儚いからこそ、人間は謙虚になれて、あらゆることに有り難みを感じられるようになる。

儚いからこそ、この一瞬一瞬がもう二度と繰り返さないものとして輝いてくる。

もし人間が死なず、終わりが決して訪れないのだとしたら、この世のすべて、人間の生もすべてが単なる徒事となるであろう。

人間の生は惰性に堕ちて、すべては弛緩し、人間は何ごとも成し遂げることがなくなるだろう。

なぜなら、生が一生続くのであれば、いまこの瞬間に何かを行う必要性も必然性もなくなって、すべてを無限に延期することができるようになるからだ。

現在の事柄をすべて未来に向かって放り投げて、未来の自分に負わせることができる。

しかし、その未来がやって来た時、果たして人間はその「過去の負債」を解消しようとするだろうか。

そんなことは決してないであろう。

またさらなる未来に向かって放り投げるだけだ。

そうやってやるべきことをやらない「過去の負債」は、雪だるま式に増大していくわけだが、人間が永遠に生き続ける限り、その償還期限も永遠に訪れない。

こうやって考えてみると、人間をここまで駆り立てて文明を発展させてきたもの、もっと言うと、地球ができて、最初の生命体が海の中で生まれ、それがいずれは陸に出て、種類を増やし、数億年かけて進化発展してきたそのエネルギーのすべての源は、死であったのではなかろうかとすら思えてくる。

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