「自分の人生」を適当に、軽く扱うこと

「人生」を何か真面目なもの、厳粛なものとして捉えて、真剣な態度で考える時期というのが終わった時のお話を。

……

私が外国へ初めて行ったのは23歳の時でした。

私はそれまで日本を一歩も出たことがない人間で、初めて行った外国(イギリス)でそのまま住み始めました。

当時意外に思ったのは、イギリスには以前来たことがあって、それで気に入ったから長期の留学先として選んだ、という人がかなりいたこと。

私のように、長期滞在の予定でいきなり来て住み始めた、という人はあまりいませんでした。

とはいえ、私も渡英にあたっては不安なことばかりでした。

外国に行くこと自体の不安(初めての海外生活とか、英語での生活等)は実はあまりなく、むしろ自分の人生上の不安がその大半を占めていました。

大学在学時は、私も人並みに就職活動というものをしていましたが、その話も進んで最後の土壇場になったところですべてひっくり返し、留学という道を選びました。

それまで浪人や留年をしていなかったので、就職という道を選ばないというのはつまり、初めて少数派の道に私が入ったことを意味していました。

私の身近に、就職をせずに留学という道を選んだ人はほぼいませんでしたので、当時は非常に心細く、そして不安だったのを覚えています。

大学時代、日本の雇用慣行について関心を持っていたこともあり、「新卒ブランド」というものが日本ではどれだけ高く売れるのか、というのも認識していましたし、当時は政権交代(民主党 → 自民党)の前で、「不況だ」と世間では広く叫ばれ、留学生の数が減って、若者が内向き志向になってる云々が言われ始めた頃でした。

「正社員としての就職は今したいことではない」、つまり「自分のやりたくないものはやれない」と心の中では思っていたものの、留学という自分が選んだ選択肢が本当に正しいのかということには確固とした根拠があったわけではなく、ただただ不安な日々で、ときおり「こんなことなら妥協をして就職しようか」と考えたこともありました。

今は世間の風向きも若干変わっているのかもしれませんが、当時は「就職」こそが正しい道であり、それ以外の選択肢は邪道で「逃げ」だと思われていました。

なので、「留学」という選択肢は、社会的には明らかに「逃げ」であったわけですが、当時の私は「就職」こそが「逃げ」であり「妥協の産物」だと考えていました。

就職というものに「みんながやっているから自分もやっている」という、日本でありがちな横並び的価値観を感じ取っていたのだと思います

つまり自分で人生について思いを巡らし、選べる人生の選択肢を比較した結果、「就職」が最良の選択肢だと思ったから「就職」を選ぶ、というのではなく、なぜか「就職」以外の選択肢は視界に入っておらず、何も考えることなくオートマチックに、周りの人がやっているからというだけで盲目的に「就職」を選ぶということ。

「盲目的な選択がいつも悪い結果をもたらす」というわけでもないので、必ずしもこれが悪いとは断定しませんが、少なくとも「自分の人生」という大切なものを、そんな思考停止の結果として選択するのは、当時の私にはできませんでした。

とはいえ、前述したように、自分の選んだ「留学」という選択に対して絶対的な自信があったわけでもなく、絶えず揺れ動いているような心境でした。

留学前に思っていたのは、「留学して日本に戻ってきたら自分の人生は終わりだろうな」ということ。

当時でさえ、就職という選択肢を選ばずに多数派の道を外れてしまっているのだから、留学なんかしてさらに道を外れた状態になった未来の自分には、もはやこの国で収まる場は用意されていないだろうと考えていたです。

でも結果的にすべては杞憂でした。

イギリスに渡り、最初は語学学校にて英語を学び、次にフィルムスクールにて映像製作を学んだ後に日本に帰国してみても、自分はまだ生きていて、人生はまだ続いていたのです。

「自分の人生」は終わっているはずだったのに、終わっていなかったのです。

こう書いていると、どこか誇張があるようにも見えますが、当時の私にとってこれは大変な驚きでした。

同時に「人生というものを何か真面目なもの、厳粛なものとして捉えて、真剣な態度でもって考える」という時期は終わったのだと感じました。

「これからは人生というものを、もっと軽く、適当に、どうでもいいものとして扱ってやろう」と感じたのです。

つまり留学前の私は、真面目くさった態度で自分の人生を考えていたのですが、時の経過とともに様々な経験を重ね、想定通りにいかないことが数多くあること、つまり現実の不如意というものを身をもって知っていく中で、私の態度からはある種の「かたさ」が抜け、肩ひじを必要以上に張らない、「リラックス」した態度でもって、自分の人生を捉えることができるようになっていたのです。

これは私にとって大きな「解放」でした。

「誤ったサイズでもって物事を捉えてしまって、その大きさに圧倒されてしまう」というのは、特に年が若いとよくあることだと思いますが、もし仮に今の私が当時の私に会えるのだとしたら、私は彼に何と言うのだろうか、と時おり考えます。

「そんなに真面目に考えなくていいよ、Take it easy」と言うのか、それとも何も言わず、「人生」というものに圧倒されている彼のもとを無言で去るのか…。

恐らく私は後者の選択肢を取ると思います。

ああいう風に苦しんだ時間があるからこそ、その後に「解放」された喜びを知れたわけですし、何より悩み苦しんだ経験というのは(一定の限度を超えなければ)その人を精神的に強くすると思いますので。

当時こういうことはわからなかったけれども、今はそれがわかるようになりました。

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