思い出の重さ

その昔、ある小動物をペットとして飼っていたが、彼を見ていると、その無邪気さには何かを教えられる心地がした。

「今」だけを生きているような、その無邪気さ。

「過去」の積み重ねの重さにも、「未来」の未知の恐怖にもまったく脅かされているように見えない、その盲目さ。

「今」という瞬間だけに生きている、その必死さ。

過去も未来もなく…。

……

もし人間が何の「思い出」も「記憶」もなく生きていくことができたら、その人間の「生」はどれだけ軽く、どれだけ易しいものになるのだろうか。

人間、生きれば生きるほど思い出も記憶も増えていく。

楽しいもの、憂鬱なもの、悲しいもの、快いもの。

言うなれば、人間の記憶とはパソコンのデータのようなもの。

パソコンのメガバイトやギガバイトといったものに物理的な重さはないが、保存されるデータが増えれば増えるほどハードディスクを圧迫し、パソコンの動きは遅くなる。

人間の「記憶」にも、物理的には測定できない何らかの「重さ」があって、生きれば生きるほど人間の「生」にはその「重さ」が加えられていく。

そしてパソコンと同じように、人間の「動き」も遅くなる。

悲しみに、喜びに、幸せに、身をまかせることに対してある種の「ためらい」を感じるようになる。

そうやって人間の「生」は無邪気さを失って、快活さを失って、軽さを失って、青春を失って、重い鉄鎖に雁字搦めになっていく。

……

もしすべての記憶を消去できたら。

もしすべての過去の蓄積をゼロにして、「今ここ」から生きていくことができたら。

もし未来を思うことなく、ただ「今だけ」を生きることができたら。

時折、昔飼っていた彼を思い出しては、彼の「幸福」に嫉妬を覚える。

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