「海外在住」ということが唯一のアイデンティティーになっている人たち

「外国に住んでいる」ということが、その人のアイデンティティーの大事な大事な一部分になっている人たちがいます。

「人たち」と他人事のように書きましたが、過去の私もそうでしたので、ここには自虐的な意味も多分に含まれています。

でも意外にこういう人たちは多いのだと思います。

「外国に住んでいる」というのは単なる「状態」を示しているに過ぎないのに、そこに過剰な意味を見出してしまう人たち。

さらにはそれがその人のアイデンティティーの一部になってしまっている人たち。

それだけにとどまらず、海外在住ということ「だけ」がアイデンティティーのすべて、誇れることのすべて、自慢できることのすべてになってしまっている人たち。

有名企業に入ってその肩書きで生きている人や、有名大学に入ってそのブランドで満足している人も似ています。

いわずもがな、最も大事なことはそういう「外形/外見」ではなくて「内実」、つまり「実際には何をしているか」という「活動」の部分であるはずなのに、「大企業勤務」とか「有名大学所属」とかの「状態」で満足してしまっているという点では、「外国に住んでいる」という「状態」に満足して、そこに自分のアイデンティティーを重ね合わせてしまっている人も同類なのだと思います。

その危険とは?

「海外に住む」という日本社会の大多数の人たちとは違う道を選択して、そしてそれを実現することの難しさは、私自身の経験からもよくわかります。

なので、そこに自尊心を感じることも自信を感じることもよく理解できます。

ただそれが行きすぎてしまうと、それは本人にとっても周囲にとっても危険です。

本人にとっての危険

外国在住という状態にアイデンティティーを感じてしまうことの危険は、「海外在住がすべて」となってしまうことでしょう。

本来であれば、その国でどのような活動をしているかが最も大事なことであって、「海外在住」というのは二次的なもの、付属的な要素にすぎないはずです。

でもどこかでそれが逆転してしまって(もしくは最初から「海外在住」というステータスが目的で)、外国に住んでいることばかり自ら過大視してしまうことがあります。

その結果何が危険かというと、日本に帰ることが恐ろしくなるのです。

なぜなら「帰国」というのは、「海外在住」という誇るべきステータス、自分の大事なアイデンティティーを放棄することを意味するからです。

そしてその国にしがみつこうとしてしまう、何が何でも。

そういう理由で、現地人との結婚を選ぶ人も実は多いのだと個人的には思っています。

(いわゆる「打算的な結婚」ですが、それでうまくいっている人も多いでしょうから、これは批判すべきことではないのだと思います。)

ただやはり問題は、その国にいることが目的となってしまうと、どうしても目先のことばかりに目が奪われて、長期的な人生計画を立てられなくなることです。

これは自分自身が昨年日本に帰国してみて気づいた非常に当たり前の事実なのですが、日本人である私は日本に無期限に住むことができるのです。

オランダやイギリスに住んでいた頃は、「あとどれくらいこの国にいれるのだろう?」と頭の片隅で常に考えていました。

「次の年にどこの国に住んでいるのかもわからない」という状態では、次の2~3年の近い未来の計画すら立てるのが難しくなります。

周囲にとっての危険

海外在住であることがアイデンティティーになっている人たちは、どうしても母国に対して辛辣になります。

「母国に帰る=アイデンティティーの剥奪」なのですから、母国に対しては複雑な感情を抱きがちなのでしょう。

その結果どうしてもごう慢で、上から目線の発言も増えてきます。

こういう人たちは一部では「ではのかみ」とも呼ばれています。

「海外に住んでみて初めて見えてくるもの/こと」というのは非常に多いので、そこで母国に対して善意で(そして時に悪意で)様々なコメントをすることは、ある程度普通のことだと思います。

ただあえて言わないで、自分の胸のうちだけにとどめておくべきことも意外に多いと感じます。

日本には日本の常識があって他国とは違う力学によって動いているので、そのような機微を考慮しない言動が「ごう慢」と受け取られてしまったら、それは発信者の責任となるでしょう。

帰国が怖くない人たち

さて翻って「帰国が怖くない人たち」というのは、どういう人たちなのでしょうか。

その筆頭は、日本から会社の転勤で来ている駐在員の人たちでしょう。

私の経験で言っても、駐在員はその国の日本人コミュニティにどっぷり浸かって「何年も住んでいるのに知り合いは全員日本人」という人も結構いたりします。

個人的には、それはとても普通なことだと思います。

駐在員の人たち(の大半)は、別に本人が強く希望してその国に来たのではなく、あくまでも「会社からの命令」で来ているので、現地に馴染もうというモチベーションは薄く、そして何より「数年経てば帰国」という将来プランも見えているので、そもそも現地のコミュニティに入っていくというインセンティブが強く働きません。

駐在で来ている人たちは、その国でも日本でも(肩書きの上下はあれど)「◯◯会社所属」という所は同じなので、住む国によってアイデンティティーが揺らぐということは基本的にありません。

なので、外国に住み始めて数年後に会社から「日本帰国」という任が下ったら、それを何かの僥倖のように受け取って、満面の笑みで家族に報告するのだと思います。

駐在員以外で帰国が怖くない人たちとは、その国でしかできないことをやってきた人たちでしょう。

こういう人たちは、「海外在住」という「状態」にアイデンティティーを見い出さないで、「自分の仕事や活動」にアイデンティティーを感じてきた人たちです。

大半は会社に所属している企業人ではなく、アーティストや高度な技術を持っているプロフェッショナル。

この人たちは手に職を持っているので、かなりの程度、自分の意思で住む国を選ぶことができます。

こういう人たちが帰国を選ぶ時というのは、「この国でやるべきことを終えたから」とか「日本じゃないとできないことがある」といった前向きなものであることが大半なので、もちろん帰国を恐れることはありません。

むしろ、こういう人たちにとっての「帰国」とは、「アドバンテージの喪失」ではなく「アドバンテージの獲得」なのだと思います。

海外生活で得た知見や経験を日本で活かしていくことができ、さらに周囲もそれを評価してくれるからです。

Where to LiveではなくWhat to Do

どこに住んでいるかとか、どの会社に所属しているかとか、どんな資格を持っているかとか、どの大学を出ているか、ということは結局は枝葉に過ぎません。

その肩書きなり状態なりを獲得するまでの努力はすごいと思いますが、それはあくまでも他者からの評価として「すごい」のであって、当人が自身に対していつまでも「すごい」と感じ、そこにしがみ付いているのは滑稽でしかありません。

最も重要なことはそこではなく、「今何をしているのか」という活動・行動の部分です。

外国在住も同じで「海外に住んでいること」が「すごい」ことではないのです。

それはあくまでも付随的な要素に過ぎず、「すごい」という評価の対象は「その人がその国で何をしているのか」という点であるべきです。

日本以外の国に住むことなく一生を終える人が多い日本では、「海外在住=すごい」となりがちです。

しかし、ここに甘えて「海外在住=自分のアイデンティティー」と感じてしまうことは、自分の人生の大切な時間を浪費してしまいかねない、危険な誘惑なのです。

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