なぜ Kazuo Ishiguro の本はつまらないのか

若干扇情的な題ですが、私はKazuo Ishiguroの本をすべて読んでいるわけでも、彼についての知識が豊富なわけでもありません。

読んだのは処女作「遠い山なみの光」と、彼の代表作とされる「日の名残り」だけです。

ただ、ある作家の本を2冊読んで興味を引かれなかったら、それはその作家自体が合わないということなのだと思います。

1冊読んでみてつまらなくても、「勘違いかもしれない」ということで2冊目を読んでみる。

でもそれでも同じつまらなさを感じたら、それはもう「自分とは合わない」ということで3冊目はありません。

興味の引かれない作家の本を3冊も読めるほど、読者も暇ではないので。

さて、私にとって「Kazuo Ishiguroのつまらなさ」とは何かというと、「作品で示される視点や価値観が凡庸」なことです。

例えていうと、「カラス=黒」という「世間の常識」があった時に、彼はただひたすらこの常識に迎合するようなことを書く人。

如何程にカラスは黒いのか、なぜ黒いのか、どうして黒いのか云々。

しかし私が文学に期待していることとは、自分の持っている価値観やものの見方に対して挑戦状を叩きつけられることです。

それまで疑問に思っていなかった「当たり前」に対して、予期せぬ角度から疑惑の光を当てられること。

それは文学というフィクションの世界でのみ通じる「嘘の価値観」でもいいのです。

文学の価値とは「如何に文字だけを使って読書に虚構を信じさせるか」、「頓珍漢な思想を、如何にさも現実のもののように書き表すか」という点にあると私は思いますので。

ある意味、新たな価値観を提示して読者の世界認識を変革させるような(私が述べているところの)「文学作品」というのは多くの人にとっては「危険物」なのです。

ある本を読んでしまったばかりに、これまで自分を取り囲んでいた平和で安寧な世界にヒビが入り、そして時には壊されてしまうのですから。

そういう点でいうと、Kazuo Ishiguroの作品には、新たな価値観やものの見方を読者に提示する意思は全く感じられず、また読者の世界認識を揺るがすような「危険な毒」もありません。

真面目で、教訓的で、道徳的な小説。

つまり彼の作品は「毒がない」のです。

(おそらくKazuo Ishiguro本人も、善良な精神を持った、模範的で無毒な市民なのでしょう。)

これが、私が感じた「つまらなさ」の最大要因。

前述のカラスの例で言えば、「カラス=黒」という手垢にまみれた「世間知」を信じる人たちに対して「カラスは黒ですよ」という耳ざわりの良いことを本の最初から最後までひたすら彼は書いているように私には見えるのです。

一方で私が思う文学を書く作家は、「いや、カラスは白い」という新しいものの見方、世間知とは真逆の価値観を提示してきて、そしてそれを読者に信じさせようにひたすらに文字を費やすのです。

畢竟これは読者の好みや価値観の問題なのかもしれませんが、かつて三島由紀夫や谷崎潤一郎という「文学作品を書く作家たち」をノミネートしていたノーベル財団が、このような世間迎合的な作品の作者に賞を渡すとは、時代の変化を感じずにはいられません。

(ノーベル賞で個人的に興味深く感じたのは、Kazuo Ishiguroが日本をルーツに持つ移民であり、彼の地で(ローカル以外には参入障壁の非常に高い)文筆業で賞を受けた点。

人の移動の増加にともなって、今度もますます進む「多文化主義」は世界レベルでホットなトピックの一つです。

イギリスはこの多文化主義の最先端をいく国の一つ。

一方、日本は先進国の中ではもっとも多文化主義の価値観が浸透しておらず、する気配も当分ない国。

このような日本をルーツに持つ彼が、「多文化主義」という世界の潮流を代表する人として昨年ノーベル賞に選ばれたことの本当の意味(或いはノーベル財団から日本へのアイロニー)は、もっと議論していい点なのではないかと個人的に思います。)

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